top of page
検索

駒宮神社で出会った案内人たち

  • 2月6日
  • 読了時間: 3分

神社に行くのが好きです。

理由ははっきり分からないのですが、ふとした瞬間に「行かなきゃ!」と心が勝手に決めてしまうことがあります。気づけば旅行サイトを開いていて、勢いのまま宿や新幹線のチケットを探しているのです。

不思議なのは、そんな衝動に任せて動いているのに、なぜか宿も交通手段もすんなり取れてしまうこと。まるで道が用意されているかのように、スムーズに旅の準備が整ってしまうのです。車で行ける距離なら日帰りでふらっと出かけることもあります。ほんの数回ですが会社を休んでまで神社に足を運んだこともあります。


ただ訪れて、場の空気を感じ、お参りをして、気に入ったお札や御守があれば買って帰る。ただそれだけですけどね。でも毎回ではないものの、結構な確率でいわゆる“神社に呼ばれているサイン”に遭遇します。


・参拝中に突然晴れたり、雨が降ったりする

・拝殿から太鼓の音が響く(祈祷が始まる合図)

・無風なのに紙垂だけが揺れはじめる

・混んでいたはずなのに、参拝しようとすると人がいなくなる

・寒くもないのに鳥肌が立つ

・神社で飼われている動物が寄ってくる

・鳥が頭上を旋回しながら鳴く(カラスが多い)

・イモリやヤモリ、蝶々に出会う

・池に近づくと鯉が寄ってくる(これは餌の期待かもしれませんが)


一度にひとつのサインのときもあれば、複数が重なることもあります。もちろん、何も起こらない日もあります。


宮崎県の駒宮神社を、友人と初めて訪れた日のことは、今でも忘れられません。


車を停めた瞬間、どこからともなく二匹の猫が現れました。私たちが歩き出すと、その前をとことこ進み、振り返りながらこちらを見てくるので、自然とついていく形になりました。

猫たちは鳥居をくぐり、参道を進み、石段を登り、拝殿までまっすぐ導いてくれました。

参拝中は少し距離をあけて、見守るように佇んでいました。

参拝を終えると、今度は社務所の方へと歩き出し、私たちを案内してくれました。そこには人の姿はなく、印刷された御朱印や御守が並び、貯金箱のような箱にお金を入れて受け取るようになっていました。ふとお札が目に入り、この場所とのご縁を感じて、ひとつ購入させていただきました。

帰り際には、猫たちは再び駐車場までついてきてくれ、車を出すと、バックミラー越しにこちらを見送ってくれていました。「すごいね」と驚くでもなく、「偶然だよね」と片付けるでもなく、ただ素直に「猫が案内してくれたんだね」と友人と話しました。

そのとき、ふと心に浮かんだのは――この猫たちは、あの神社の案内人としてそこにいるのだ、という感覚でした。迎え、導き、見守り、そして見送る。その役目を持って、あの場所に佇んでいるのだと、ごく自然に受け入れられたのです。


思い返せば、神社に到着するまでの道のりもどこか不思議でした。ナビが突然狂い、同じ場所をぐるぐると回って予定より遅れてしまったこと。ようやく辿り着いたときには、参拝を終えた車が次々と出ていき、気づけば私たち二人だけが境内に残されていたこと。まるで人払いが起こり、静寂の中で神社と向き合う時間が用意されていたかのようでした。


偶然と呼ぶにはあまりにも整いすぎた出来事。あの日の参拝は、猫という案内人に導かれ、神社そのものに迎え入れられたような、忘れられない体験となりました。

 
 
 

最新記事

すべて表示
鬼門も欠けも怖くない!植物と掃除で整える家の風水

私の家は建売で購入したのですが、風水的に見ると「玄関が鬼門(北東)」「裏鬼門(南西)に欠けがある」という、なかなか厳しい間取りです。(※「欠け」とは、家の角が庭や駐車場などで削れ、L字型のように凹んでいる部分のことをいいます) 風水に興味を持ったのは購入後だったため、家の間取りがよくない配置だと気付いた時には、それはもう深いため息と共に大きなショックを受けました。その後、何か悩みがあるたびに「玄関

 
 
 
伝説の漫画家『岡田あーみん』を想う

『こいつら100%伝説』『お父さんは心配性』など、岡田あーみん作品の狂気と魅力を語ります。りぼん黄金期を彩った伝説の漫画家への敬愛をそっと辿ります。

 
 
 

コメント


bottom of page