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『夜と霧』を読んで

  • 1月9日
  • 読了時間: 5分

更新日:1月29日

少し長くなりますが、いくつかの段落に分けて綴っていきたいと思います。


去年の一月、エジプトツアーに参加したときのことです。

同じグループに、ひとりで参加していた女性がいました。話してみると、かつて高校で国語を教えていたという方でした。折角の機会なのでどんな本が好きなのか尋ねてみると、その中に『夜と霧』の名がありました。


帰国後、いつものように「気になった本だけはAmazonで買う」儀式を済ませました。届いた本は、読まれることなく本棚の上にそっと積まれ、他の“いつか読む本”たちと静かに眠りにつきました。


ところが先月、SNSを開いた瞬間、ある写真家が投稿した写真に目が止まりました。アウシュヴィッツ強制収容所の写真でした。


学生時代、第二次世界大戦については“テストに出るところだけ”を効率よく暗記していました。国同士の対立構造も、いまでは恥ずかしいほど曖昧です。アウシュヴィッツについても、「ユダヤ人をはじめ、ナチスに目をつけられた人々が連れて行かれ、ガス室で殺された場所」──その程度の薄い理解しか持っていませんでした。


けれど、その写真を見た瞬間、胸の奥がざわつきました。“知らないままにしていたこと”が、急にこちらを見返してくるような感覚でした。


そして同時に、エジプトで出会ったあの先生の言葉が、数ヶ月遅れで静かに蘇りました。旅の最中は「先生が勧めるなら間違いないだろう」くらいの軽い気持ちで聞き流していたのに、SNSの一枚の写真が、その記憶を呼び戻したのです。


本というのは、こちらが読むタイミングを選んでいるようで、実は向こうが“読む時期”を決めているのかもしれません。積んでいた『夜と霧』が、まるで「今だよ」と囁くように存在感を放ちはじめました。



~装画に隠されていた意味~



まず、装丁について触れておきたいと思います。

装画には、縦縞の布のような模様に星がついていて、その下に数字が並んでいます。最初に見たとき、私はこの意味をまったく理解していませんでした。デザインとして“そういうもの”なのだろうと、深く考えずに通り過ぎていたのです。

しかし読み進めていきながら改めて装画を眺めると、その縦縞が囚人服であり、星や番号が収容者を識別するための印だったことに気づきました。知らなかったというより、“知らないままにしていた”という方が近いのだと思います。その一枚の絵を前にして、自分がどれほど表面的にしか歴史を見てこなかったのかを思い知らされました。



~収容所で起きていたこと~



『夜と霧』は、絶滅収容所へと強制連行された一人の心理学者が、自らの体験を淡々と綴った記録です。何が起きているのかも分からないまま連れてこられた先には、日常とはまったく別の“世界”が広がっていました。そこで目にした悲惨な出来事の数々が、誇張も装飾もなく、ただありのままに描かれています。


到着したその日から、持ち物も名前も奪われ、腕に彫られた番号で呼ばれるようになります。髪を剃られ、身につけていたものをすべて剥がされる。その瞬間、人は自分が“誰だったか”を急速に失っていきます。


わたしならどうしただろう──そう考えかけて、すぐに思い直しました。

いや、そもそも“どうする”という選択肢などなかったのだと。


当時の収容所では、女であるというだけで、生き延びる可能性すら与えられないことがありました。その事実を前にすると、想像することすらためらわれます。

一方で、働けそうな男性は強制労働に回されました。生き延びるというより、“使い潰される”という表現のほうが近いのだと思います。そこに意志も希望も関係なく、ただ体が動くかどうかだけで振り分けられていきました。


選別は、SS(ナチス親衛隊)が指を左右に振るだけで決められます。

右か左か、その一瞬の動きで、生きるか死ぬか、働かされるか殺されるかが振り分けられる。そこには説明も理由もなく、ただ“仕分け”という作業だけが淡々と行われていました。



~心の灯りが生を支える~



こうして強制労働に回された人々の生活は、想像を超える過酷さでした。著者自身も、早朝から晩まで労働に明け暮れ、飢えと寒さと暴力の中で、ただ“生き延びる”ことだけが目的となる日々を過ごします。


その中で著者は気づきます。

同じ環境に置かれていても、生き延びる人と、そうでない人がいることに。

その違いは、体力や年齢だけでは説明できません。

極限状態における“心の持ち方”が、生死を分ける決定的な要素になっていたのです。


例えば、クリスマスを迎えると、死亡者が一気に増えたといいます。

多くの収容者が「クリスマスまでには帰れるはずだ」と根拠のない希望にすがっていました。しかしその日が訪れても奇跡は起きず、期待が裏切られた瞬間、心が折れてしまう人が続出したのです。希望が支えになっていた人ほど、その希望が崩れたときの落差が大きかったのでしょう。


著者には、収容所に送られる数ヶ月前に結婚した、深く愛する妻がいました。その妻が今どこにいるのか、生きているのかどうかさえ分からない。それでも、妻を愛する気持ちだけは奪われませんでした。寒さや飢えや暴力にさらされながらも、彼は妻の存在を“心の中の灯り”として抱き続けます。その灯りが、極限状況の中で彼を支え続けたのだと語られています。


著者が見出したのは、人は“意味”を持つことで、生きる力を失わずにいられるという事実でした。


では、わたしにとっての“意味”とは何でしょう。


誰にも言えない痛みを抱え、出口の見えない時期がありました。

そのころの私は、ただひたすら

「なぜ私にこんなことが起こるのか」

「どうして自分だけがうまくいかないのか」

そんな問いばかりを繰り返していました。


他の人には当たり前のように訪れる幸せが、どうして自分には手に入らないのか。何が違うのか。その答えを探して、心の中をさまよい続けていたように思います。


けれど、長い年月をかけて、少しずつ気づき始めたことがあります。

私の人生に起こったことは、誰のせいでもなく、私の人生に必要だった出来事なのかもしれない──と。

そう思えるようになったのは、ほんの最近のことです。そして『夜と霧』を読んだことで、その感覚がさらに深まりました。


大切なのは、起こった出来事そのものではなく、それにどんな“意味”を持たせるか、ということ。


意味は、外側から与えられるものではなく、自分の内側で静かに育っていくものなのだと、

この本がそっと教えてくれました。

 
 
 

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